はい!
なんか更新率が上がってきてます!(ぇ
受験期なのにかまわず、なぜか更新が増えてます!((
えーまぁ、今回の更新は日記じゃなく、ふと思ったスィリィーーーッズ!(シリーズ)なんですが、
まぁあれですよ、受験期ってやつぁ憎いですね(ぇ
人を惑わし 人を狂わせ 人を闇に落とし 人をあざける。
これに打ち勝つには括弧たる志や、信頼できるものを持ってる人なれば超えられる、、。
勝手にそう思い、勝手にそうだと信じているだけなのかもしれない、、。
少なくとも今の自分は、この受験期によって惑わされている人のうちの一人だろう。
私だけでなく、同級生の中にも数人いる、、。
その人は、たとえば自分を見失いなにをすべきか迷い、、。
またある人は他者の受験の心配をし自分を忘れそれに迷い、、。
そして私は、なにをすべきかわからず、また頼れる人をも見出せず彷徨っている、、。
おそらくは、まだ数人いるだろう、、。
でも、きっと皆忘れているだけだと思う、元来人が持っているその願い、
そして幸せ、今という時代の中で生きている我々はそれだけで、
今という時代におぼれ、まためまぐるしく移りゆくその中で本質的な幸せを見失っている、
幸せ、、幸せとはなんだろう?、、金?地位?権力?
今のこのご時世、生きてゆくには、金、地位、権力、身分、ずる賢さ、それらを、
併せ持つものが多いように感じられる、、。
私、、だけかもしれないが、、。この世の中で大事だと思われるのはやはり、、
友、、そう、、友、友も必要ではあるが、やはりその真意としては、、。
信頼できるパートナー、、。この言葉をとらえた時、その言葉の中で感じるものは違うだろう、。
私が今信頼できるパートナーと言ったのは、、。
今このような形でこのブログに掲載するのも少しばかり気がひけてもいたのだが、、。
これもまたなんらかの運命の悪戯か、、もしくは前述した受験期、故になのか、、。
まぁとにかく、その理由は、
当時、私はなにをすべく生きているかもわからず、
ただ歩いているにすぎなかった、、。
その歩いている中で色々と学んだ、、。
いくつかの言葉が心の中で響いては消え、、それの繰り返し、、
だがその中でひとつの答えは見つかった、、。
そう、友の必要性、、。
誰しもが真意での孤独に勝てる者などそうそうはいないはずだ、、。
また、友を作るにはこちらも信頼し、また信頼される必要がある、、。
だからこそ私は総ての人を信頼しようとしていた、、
そう、、その当時は、、。
だが現実は違っていた、、。
幾度となく信頼をしてみては裏切られ、、。
ようやく心開けると思いきや、また裏切られ、、。
その連鎖の中で生きてきてしまった故なのか、、。
私はある一種の人間不信にも陥っていた、、。
そう、今現在も少なからず解消されたというには遠いかもしれない、、。
そして悟った、、人を信じられないことは悲しいことだ、
だが信頼すればするほど勝手な自分の心の中で造りあげられる相手の虚像ばかり大きくなる
でも、少なくとも、ほんの少しでも、すべての人を信頼できたとき、、
その時、ほんの少し、心が満たされた気分になった、、。
それは、、信頼するには信頼される必要があるから、、また逆もしかり。
そう心の中で、自分が信頼されたことに喜んだからだろう、、。
だが、、その中で、ようやく本気で信頼できると思えた人に、、
裏切られた時、、
深い悲しみが私をおそった、、。
憤りのない怒りを感じると同時に、心の中で「いつものことだ」と言い聞かせていた、、。
そんななんとも言えない悪夢にさいなまれている最中、
あろうことか考えてはならないことを考えてしまった、、。
こういうのもなんではあるが、、。
そのとき、我が命を絶つことを考えてしまったのだ、、。
だが、、それもまた恐怖がわいてしまった、、。
でもそんな自分に余計に嫌気がさした、、。
その時、とある人に思いのたけをぶちまけてみた、、。
その人は答えてくれた、、。
「生きろ。」
その言葉だけで十分だった、、。
なぜだかはいまだにわからないが、思いとどまることができた、、。
その時に悟った、、。
そう、人を信じ、信じられるには生きていなければ不可能であると、
私はまだこの世に生をうけまだ15年しかたっていない、
そんな浅はかなこの生命の記録で命を絶っていいはずがない、
世界には思い残して消えていく人もいるのだ、、。
そう思うと今生きている、そのことこそが本当の幸せであると気づいた、、。
そう、、元来人間というのは生きるために、生き延びるために努力をしていた。
今の人達が必要な金のために努力しているのと同じく、
生きるために努力をしているのだ、、。
また、宗教的になるが、、
人は天より天命を授かってこの世に生まれる。
その天命をまっとうせずしてこの世を去るはいかんともしがたい。
故に生きるのだ、なにがあろうと、たとえ辛くとも、、。
そう、、いずれ本当の幸せの本質が自分の心に届くその日までは、、。
生きていかねばならないのだ。
そして、生を実感できる、それこそ、信頼の中で成り立つ心、また友情ではないだろうか、
そう、つまり、今この平凡な中で生きている私達、
失いかけている幸せの本質、それを見極めるために、
もしかしたら学校、というのはあるのではないだろうか、
学校はたしかに、私に色々なことを教えてくれた、
生きる術、信頼、そしてそれを裏切られる痛み、その痛みを他者に対し
やってはいけないという精神を育ませてくれた。
まだ未熟ゆえに守れていない点はあるだろう、、。
でもいずれそんな点をも含め自分を包みこんでくれる人を見つけられたのなら、
今の私のこの心は満たされるだろう、、。
また学校というのはその包み込んでくれる人を探す、
といった意味合いでもやはり必要なのだろう、、。
そう、、世界には総てに本質がある、それを見極めるのは難しいし
それを悟ったとしても周りからすればただの偏見なのかもしれない、
だがひとつ正しいことは、、
たとえどんなことがあろうと、生きていかねばならない、
辛くとも、、辛くとも、、いずれ光が差し込むのだ、
日の出のない夜などありえないように、、
時間は進み続けている中で、、。
そう、、生きるのだ。
仲間を信じ、また信じるということを信頼し、信頼することを志とし、、、。
私は今こう誓い生きていこうと決心した(書いてる途中にそう思いました。)
そう、終わりなき日などない、、
辛くとも生きよう、そして立ち止まることなく歩き続けよう、
道をそれぬように、人道からはなれることなきように、、。
人が生きる、、そうすなわち人生、身近にあった幸せの答え、、
生きるのだ、、、。
忘れるなかれ、、
誰しもが一人ではない、、
本物の孤独にある者は少ないはずだ、、
忘れるなかれ、、忘れるなかれ、、。
えー、乱文、また読みにくい内容だったと思います、
不快に思った人はスルーで(ぇ
少々最近周りで色々とゴタゴタがあったもので、、。
心が揺らいでしまったので書きなぐりのような文になりました、、。
まぁとにかく、、、
眠いので寝ます!(ぇ
おやすみなさいませ。